中二病が治らない

そんな私の戯言です

チルダで塗りつぶせ

日本語の面白さは、その表現方法の多様さにある。

漢字・平仮名・カタカナの3種類の表記の使い方や、細かな言葉遣いの違いによって、言葉の使い手のキャラクターを巧みに表現することができる。

「今日は晴れだ」「きょうはいいてんきでした」「本日ハ晴天ナリ」

同じ内容を表していても、表記の仕方で話し手のイメージが変わる。

ギャルの文体は一目でギャルのものと分かるし、オタク構文はなぜかオタクっぽさが感じ取れる。

 

逆に言えば、普段使う文の表現を意図的に変化させることで、それを見る人に与える印象を操作することも可能なのではないか?

ぼくは、そう考えた。

 

◆◆◆

 

子供の時から今まで、ずっとネガティブ思考でい続けている。

ネガティブよりも、ポジティブな方がずっと生きやすい。そんなことは百も承知だけれど、そうはいったって普段から悲観的な解釈を脳のプログラムが勝手に行なってしまうものだから、意識どうこうで変えられるものでもない。

最近は幾分マシになったけれど、それでも月に2回くらいはネガティブに支配されてしまう。

 

精神的に落ち込んでいるときには、文体も重苦しくなる。

絵文字は使わなくなるし、「〜なわけがない」「〜できる気がしない」など、強い否定の表現を多用するようになる。

沈んだ調子の言葉を見て、さらに負の感情は強くなる。

 

ぼくは毎日日記を書くようにしている。

その日起こったことや感じたこと、考えたことを自由に記録する。

するとどうしても、その時の精神状態が直に反映されてしまう。ネガティブな言葉は重く響き、一際異彩を放つ。

何より、自分のことながら見ていてあまりいい心地がしなかった。毒を撒き散らしているような気がした。

 

だからというわけじゃないが、いつからかちょっと表記に工夫をした。

語尾に伸ばし棒とエクスクラメーションマークをはさんで、「しんどい〜〜〜!」とか「もう無理〜〜〜!」って書き方をするようにした。

同じ内容だとしても、語尾を伸ばした方がいい意味でマヌケというか、なんとなく気が和む。

キツめな言葉を書いたとしても、印象をだいぶ柔らかくできる。

日記を書いているところをのぞかれた友達からは「ギャルみたいな書き方してんな」と言われた。

 

人の思考は、普段使っている言葉に影響される。

だとすれば、ふだんの書き言葉を少しいじってみたら、気分をちょっと変えられるのかもしれない。