中二病が治らない

そんな私の戯言です

強みに気づく

継続力のない人間だと自覚しているのだが、書くという行為はなんだかんだでずっと続いている。
ある程度まとまった文章を書くnoteの記事やわりかし好き勝手書いている本ブログに加え、公開はしないけれど毎日日記で自分の志向や感情を記録していたりもする。
あと、(分量は少ないけれど)Twitterなんかもそうか。

 

ある程度の期間なにかに継続して取り組んでいると、自分の得手不得手みたいなものがおぼろげながらもわかってくる。
ぼくはどうやら、長い文章を書くことにわりかし適性があるみたいだ。
本ブログでPV数が多い(といっても少ないけど)のも長めの文章だし、今年から入っているライターのコミュニティでも「長い文章でも読めてしまう」との評価をいただいたりした。
資料や文献を調べていきながら、論理的に展開していく文章を書くのも楽しい。

その反面、エモーショナルな文体はあまり得意じゃない。感情を前面にして書くと、ぼくの場合どうしても懺悔大会かメンヘラ日記になってしまう。
あと、オモコロのライターさんみたいな文章も到底マネできそうにない。

あと、自分の文章表現には「独特のクセ」があるみたいだ。それがアクセントになって、ある程度難しい文章でも読みやすくなっていると評価をいただいたことがある。
若干難しい表現も多いらしいけど。

 

一人でこっそりやっているだけでは、自分の強みや弱みはなかなか見えてこない。
就活の自己分析なんかもそうだが、自分でワークシートをこなすよりも人と話したほうが自分の特徴がわかる場合が多々ある。
他者のフィードバックを通じて、オリジナリティに自覚的になれる。

同時に、人の意見ばかり聞いていてもオリジナリティは育たないよな、とも思う。
誰かからフィードバックをもらい続けると、どうしても他人の目線を意識してしまう。
「あの人からこう言われたから、こうしないと」という意識が強くなりすぎる。
もちろん、他者の目線から自身の悪癖を修正できることもあるから、一概に悪いこととはいえない。
でも、いい面も同時に消してしまう可能性もある。

人の意見を全く効かないのは論外だが、聞きすぎるのも考え物だ。
一人孤独にコツコツと打ち込むフェーズと、他者の目線と照らし合わせ自己分析するフェーズ。
両者を交互に織り交ぜていくのが、上手いやり方なのかもしれない。