他人は石ころ
これから書くのは暴論だ。
その主張に正しさなどない。ただ、ぼくにとっては真実だ。
ちょっと前にnoteの方で記事をあげた。日常のちょっとした初体験をエッセイ風にしたためたやつだ。
結果、全然読まれていない。
現時点でPV数、リアクション(いいね)数ともにワースト。
びっくりするほど読まれない。
でも、よくよく考えたら当たりまえだ。誰も興味がないのだから。
顔も名前も晒してない、さらにはアウトプット数も少ない独身成人男性の私生活なんて、正直どうでもいい。
ぼくも読まない。顔も名前も知らない野郎のプライベートなんぞ、クソほども興味を持てない。というか多分認識すらしないだろう。
でも書き手が若い女性だったら話が変わってくる。ちょっと覗きに行く。
性の香りをしのばせようものなら、もう最後までイッキだ。
情けない。されどそれが男の性というもの。
「男は全ての女がうっすら好きで、女は全ての男がうっすら嫌い」とよく言う。
けだし名言だ。そしておそらく正しい。
しかし、まだ正確ではない。もっといい表現があるはず。
「男はほとんどの女を宝石だと思っていて、女はほとんどの男を石ころだと思っている」
これだ!
個人的にはとてもしっくりくる。
男が記号としての「女」に抱くものは好きという価値判断なんかじゃなく、もっと即物的、言ってしまえば下種な感情だと思う。所有欲、占有欲、ステータスの象徴。故に宝石。
同じく女から男への「嫌い」って表現にも違和感を感じる。女性にとっての不特定多数の男性は、嫌悪感を抱くほどの存在感を持っていないはずだ。いわば無関心。あってもなくても変わらない。だが歩く先にあると邪魔。故に石ころ。
(自分含め)モテない男性は、この構造を理解していない。よっぽどのことがない限り、女性にとって男は石ころなのだ。
話しかけてきたら「あ、なんか石ころがしゃべってるぞ」くらいにしか思わないし、優しくされたら「なんかこの石ころ私に優しいぞ」くらいの感情しか持たれない。
「ボク優しいはずなのにどうしてモテないんだろう」と嘆くのは全くのピント外れだ。まだバッターボックスにすら立たせてもらってないことに気づけ。
まずは人間として認識されろ。話はそれからだ。
と、ここまでまあミソジニー全開な感じで話しちゃったけど、冷静に考えるとこれって「女→男」に限った話でもないよなぁー。
性別にかかわらず、人っておのおのの人生に登場人物がいて、それ以外の人はいわば「モブ」とみなして、いてもいなくても変わらない扱いだよなー、なんて。
人によって登場人物の数はまちまちで。『ワンピース』なみに大所帯の人もいれば、『孤独のグルメ』みたくほとんど皆無な人もいる。
ぼくはどちらかというと後者に近い。多くの人と関係を結べるほど器用じゃないし、「友達100人」なんて勘弁してくれ、って感じだ。
それでも、自分が深くかかわりたいと思った人とは関係を築きたい。
それってわがままだろうか。
結局自分も、他人のことを石ころくらいにしか思ってないんだろうなー。
その中で見つけたキラキラ光るものだけを手に入れようだなんて、ムシが良すぎるよなー。
ああー。
人と関わりてぇ。でも、関わりたくねぇ。