中二病が治らない

そんな私の戯言です

つぶやきたい僕ら

高校1年生の時に初めてアカウントを作ってから今日まで、ずうっとTwitterが生活の一部に食い込んでいる。

久しぶりに会った友人からはよく「Twitter見てるよ」「最近あんま呟いてないね」みたいに、もはやTwitterが生存確認のファクターになっているみたいだ。

実際、自分の身の回りで積極的にTwitterで発信している人は多くない。近況報告はだいたいInstagramのほうでやっている。

高校生くらいまではみんなたくさん呟いていたのに、大学入学、進級、進学、就職とステージの変化にしたがってアクティブユーザーは徐々に減っていき、今では通知欄の半分が黄色い男のアイコンで埋め尽くされている。

 

ぼくがTwitterを続けているのは、日々感じたことを吐き出したいからだ。

「いや、そんなことは日記に書くか、誰かにLINEしろや!」

もっともだ。もっともなのだが違う、そうじゃない。


Twitterに書きたいようなことは、自分一人に押しとどめておくにはあまりに勿体なく、誰か一人に打ち明けるにはあまりに申し訳ない。

誰も聞いていないだろうけど、誰かに聞かせたいこと。
そんなことをぶちまける。エゴイズム丸出しの行動原理だ。

 

このごろ、SNSを続ける人の心理についてよく考える。
ビジネスや趣味といった明確な目的があるなら別だが、そうでもないのにTwitterを使い続けている人の特徴として「臆病だが自己顕示欲が強い」というものがあるんじゃないか。

本当に健全な人間はSNSをやらない。誰かに対して特別自己を大きく見せる必要性を感じておらず、等身大の生活に充実感を感じているからだ。

自己顕示欲が強くてアグレッシブな人にとっては、己を主張する手段としてTwitterはあまりにも効率が悪い。InstagramとかPodcastとか、もっと感覚的に訴えやすい媒体を使う。

「個の時代」と言われて久しい昨今、自分の存在を世界に表明する手段などいくらでもあるのに、わざわざTwitterという手段を選んでいる人。
そんな人は「己の存在を誰かに認識してもらいたい一方で、過度な注目は浴びるのが怖い」という、一見矛盾した感情を抱えているのだと思う。

 

ここまで書いていて、ほとんど自己紹介のようになってしまった。

そうです。だからぼくらは、つぶやきたいのです。

たとえばその相手が、虚無だったとしても。