面白がる
誰かに自分のことについて説明するとき、「他人にあまり興味がない」という表現をよく使う。
誰が誰と付き合ってるとか正直どうでもいいし、おおよそ自分に関わりのない人間に貴重なエネルギーを使いたくない、みたいなことを併せて言っている。
ウソだ。本当は興味アリアリだ。
好きなアーティストが同じ人がいればすぐにでも話しかけて語り合いたいし、街中で美人を見かけたら目で追っかける。超チラ見する。
なのに人前では「興味ない」と言い放つ。
どう考えてもハスに構えてるだけなのだが、一応まっとうな理由はこしらえてある。
人と関わると、ひどく疲れるのだ。
ぼくは根っからの内向型なので、人と話すことはエネルギーを放出する作業になる。
内向性の強い人間は、会話の際にまずは相手の発言、声色、表情、仕草といった情報を事細かにキャッチし、相手の思考展開や精神状態がどのようになっているのか、推測を行う。
その後、与えられた仮説をもとに、自分がとるべき最適な行動は何か、思考をフル回転させる。
何を言ったらウケそうか、逆にシラケそうか、この例えは相手に通じるか、この表現は相手の逆鱗に触れやしないか、みたいなことを瞬時に脳内でチェックし、最終的な発言やリアクションを実行する。
内向型人間にとっての対人コミュニケーションは、いわばエモーションの総合格闘技なのだ。
なので人とみっちり話した後はたとえそれが親友の間柄でもくたくたになるし、一人の時間を作って消費したエネルギーを充填しなければならない。
また、会話が複数人になれば負荷はさらに強まり、許容量を超えてフリーズする場合がある。大人数の飲み会なんかは完全にキャパオーバー。しんどい。
(いや、今日は会話下手の話をしたいわけではない!)
とにかく、内向型人間特有の事情から「他人に興味がない」と言っておくことで、必要以上の会話を避けエネルギーを節約するようにしていた。
けれど最近になって、むやみにこういうのはあまりよくないな、と思うようになってきた。
「興味がない」と外部を突っぱねると、どんどん内へ内へと意識が閉じこもっていく。
過度な内省は視野を狭め、独善に至る。
誰かがかけてくれた言葉も「それはお前の見解であって、俺には関係ない」って具合に、人の話に聞く耳を持たなくなる。
もしかしたらそのアドバイスが、さらなる飛躍のきっかけになるかもしれないのに。
自分を守るために無関心を装うことは自分の殻に閉じこもることであり、確かにあったはずのチャンスを見過ごしているのではないか、と思うようになった。
こりゃいつまでも「俺、他人に興味ねェから」なんて言ってられないぞ、って具合に。
とはいえ、急に他人に興味を持とうと言っても、なかなかうまく出来るものでもない。
どうしたものかと思案していたとき、ちょうどその解決策となりうる出来事があった。
それは今日の新入社員研修のこと。
自分の現状と目指したい未来をどう繋げたらいいのか、ぼくは社員さんの話もよそに考えんでいた。
その時ふと「取材をするように研修を受けてみてはどうか」というアイデアに至った。
とにかく話を聞き、解明し、全体像を浮き彫りにするよう努める。
効果はてきめんだった。
気になったことを片っ端から質問し、講義の全体像を掴もうとした。
質問をしようとすると観察眼が鋭くなり、与えられた情報から疑問点や仮説をより見つけられるようになる。
質問を通じて仮説を検証することで、対象への興味が自然も湧き上がってくる。
順序が逆だったのだ。
興味を持った後にアクションを起こすのではなく、アクションを起こすことで興味が湧き上がってくるのだ。
これはもしかしたら、仕事以外のコミュニケーションでも使えるのではないか?
検証してみる価値はある。
今度知らない人やそこまで仲良くない人と話す時は、まず何かしら会話をぶつけて、そこから興味を引っ張り出してくればいい。
興味が湧かなきゃ、その人とはご縁がなかったってことだ。
「他人に興味がない」なんてハスっている場合じゃない。