中二病が治らない

そんな私の戯言です

本心

先月の中頃くらいからずっと、なかなか何かを書こうという気にならず、気がついたら一か月近くほとんど更新ができていないままだった。

その間と言えば、個人的に少し心をざわつかせる出来事があったものの他はおおむね平穏そのもので、目標はないけれど丁寧に日々を過ごしていた。派遣のバイトで日銭を稼ぎ、夕方ごろに家に帰っては居間のソファに陣取ってプロ野球の中継にかじりついて、結果に一喜一憂し誰に聞かせるでもない贔屓への放言をぶちまけた後、明日の支度をして寝床につく。バイトがない日にはスーパーで食材を買い込んで、カレーを作ってはInstagramにアップする。その繰り返し。

大きな刺激はないけれど、満ち足りていて、そこそこに幸せだ。

 

人は環境の奴隷といわれるけれど、こんな日々が続いていると、ついぞ最近まで就職活動を通じて「自分は何者で、人生をかけて何を成し遂げていきたいか」という途方もない命題を本気で解明しようと奮闘していたことを忘れそうになる。
その問いについては「現時点では答えを出せない」という結論でとりあえず片が付いた。問題を先延ばしているようですっきりはしないけど、事実そうなのだ。
就活にはつきものの自己分析とやらをやりつくした結果、人間としての自分の器の小ささ、底の浅さを思い知っただけで、あとはなんの恩恵ももたらさなかった。

 

就職活動で出会った人たちや友人たちとの会話を通じて、自己実現アイデンティティの確立に全員が躍起になっているわけではなく、むしろそういうタイプの人は少数派なのだということを知った。
「俺は社会の歯車で構わないよ」なんて言っている奴のほうがむしろ、力の抜きどころをわきまえていて公私ともに充実しているように見える。
この年にもなって使命だの理想だののたまっているのがすごく子供っぽく思えるし、自然に考えがそういう方向に行ってしまう自分の性格に辟易する。

 

一体いつからこんな理想主義になっていたのだろう。昔はそれほどでもなかったはずなのに。
集団生活のなかではルールをしっかりと守っていたし、規則によって管理されている状態にさほど息苦しさを感じなかった。
言われたとおりにしておけば面倒なことにはならないからと校則やルールにはきちんと従い、その範囲内でどのように楽しく過ごすかを意識していた。目立つことは不都合だと思うようになった。角が立つといろいろな人から目をつけられ、何かにつけて面倒が起こる。なるべく目立たず、他の人と同じように振舞うことが大事なんだと自然と考えていた。
将来についても、明確な夢やビジョンなんてこれっぽちも持ち合わせていなかった。漫画家になりたいと考えていたこともあったけれど、現実的じゃないと思ってついに誰にも打ち明けることもなくどこかへと消えてしまった。なんとなくいい大学に行って、良い会社に勤めるんだろうな、と漠然と考えていた。

けれど、その姿はどうやら自分の本心を抑え込んだ末に環境に順応しただけだったようだ。
大学生になってから、内省の時間が増えた。本をよく読むようになって、世の中には自分が思うよりずっと多様な考え方が存在することを知った。
世界の広さにワクワクしている自分がいることに気づくたびに、自分のありたい姿が世間が提唱する「こうあるべきだ」という規範から乖離していくことに気づいた。

少し遅めの反抗期なのかとも訝しんだが、中高生のころは反抗的だったけれど成長するにつれて規範や「組織の構成要素としての自分」に居心地の良さを感じるようになった、という友人もいたから、別におかしいことじゃないのだろう。

 

結局、何が言いたいのだろうか。とっちらかってよくわかんなくなった。