中二病が治らない

そんな私の戯言です

書くことの効用

早いもので、毎日投稿を始めてからもう1週間がたった。
「思いついたことを何でもいいから書く」というスタンスで書き続けていると、どうしても内容に傾向やクセが出てくるみたいだ。

ぼくの場合元来ネガティブなこともあり、その時々の悩みや不安、もしくは疑問点が起点になっていることが多い。
あと「書くこと」に関する記述も多い気がする。まだそこまで偉いこと言える身分でもないけど。

 

文章を書くことは楽しい。自分の能力にも合っているように感じる。

けれども、昔から書くことが好きだったのかと問われると、案外そうでもないのだ。
作文の時間はキライだったし、小学校高学年の時に読書感想文の規定枚数が原稿用紙5枚分になった時は顔が真っ青になった。
実は今でも「めんどくせえなぁ~でも書くかぁ~!!」という感じで、毎日意志と怠惰を綱引きさせながら、なんとかキーボードを打つ手を動かしている。

文章を書くことは楽しいけれど、それ以上にめんどくさい。

 

それじゃあ、どうしてそんなめんどくさいことを自分から進んでやっているんだ、って話なんだけど、正直自分でもはっきりとは言語化できていない。

けれど、なんとなくは分かる。

 

もともと考えすぎるタイプだったのが、周囲への劣等感やコンプレックスが積み重なり、20歳くらいのころにそれが破裂してしまったことがあった。
そのころは人生でも最も考え事をしていた時期だと思う。人と話すこともめったになかったから、授業もさぼって四六時中散歩をしながら物思いに耽っていた。

そんなある日、頭の中で考えを巡らせていときにふと「今自分が考えていることを文字にできたら、多分すごいものができるぞ」と直感した。
そこから自分の悩みや感情をノートに書きなぐるようになった。
最初は言葉の断片だったものが次第にまとまった文章になって、やがて1~数ページにわたって展開される思考の束がいくつかできあがっていた。

 

書くことの効用の一つに、自分の思考を固定・編集できるというものがあるみたいだ。

 

ヒトは1日に何千回もの思考を行う。
脳内で展開されるこれらの思考は空の雲のようにとりとめがなく、ひとときとして同じ形にとどまらない。
そんなあいまいで儚いアイデアをつなぎ止め、まとまった形に留めおく。

書くという営為には、そういう側面があるように思う。

 

こうして保存した思考は客観性を持つ。

書くことで、自分の頭の中で堂々巡りしていた不安や悩みが自己から離れて、俯瞰で見られるようになる。

一人で考えているだけでは如何ともしがたいような巨大な負の感情も、言葉にして書き留めることで解決の糸口が見つかったりするものである。

 

ぼくは去年の9月から、自分の頭に浮かんだ思考や感情、アイデアや悩みを日記の形で記録する、というルーティーンを繰り返している。

「いいね!」や「シェア」というご褒美もないのに、どうしてそんなめんどくさいことを続けられているのかといえば、書くことによって悩みからの解放をこころみているからなのだ。

 

ぼくにとって、文章は癒しでもある。