中二病が治らない

そんな私の戯言です

あの日の自分に、襟元を正される

ぼくの通っていた中学では、ホームルームの時間を使って日記を書くきまりがあった。
終業前の10分くらいの時間を使って、1日の出来事や感想なんかを書いて担任の先生に提出する。書いたものは次の日に担任のコメント付きで返ってくる。今思えば、先生と生徒間のコミュニケーション活性化だったり、生徒の体調や精神状態を把握したりするための手段だったのだろう。

内容はといえば、まあ中学生だから「眠い」とか「暑い」とか「ダルい」とか、そんなことを書いている生徒がほとんどだったと思う。それでもきちんと提出していればいい方で、何も書かずにいて呼び出しを食らうクラスメイトも少なくなかった。

ぼくはと言えば、中2の途中くらいまではそれなりにまじめに書いていたのだが、途中からなぜだか日記でボケをかますようになった。内容を全て漢字の当て字にしてみたり、足でペンを持って文字を書いたり。

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当時の日記の一例。古田敦也氏(元プロ野球選手)の頭部が射出されている。


なんでこんなことを書くのかというと、中学時代の友人に会うたび会うたびに「中学の時のあれマジでヤバかった」と言ってくる奴がいる。あまりにそう言うものだから近頃は「もうわかったよ」と食傷気味だったのだが、彼の記憶にそこまで強烈に残っているのはなぜなのだろうとふと疑問に思い、引き出しから当時のノートを引っ張り出しては読み返してみたのだ。

見てみると、まあしょうもないことばかり書いてある。ウケを狙って書いたものは大半が支離滅裂な内容で、そうでないものも多くはマンガやアニメからネタを引っ張ってきたものだった。たまにクスリと笑えるものはあったけれど、読んでいるうちに恥ずかしさで顔から火が出て爆発してしまいそうになった。所謂「黒歴史」ってやつだ。

しかし、ページをめくりながら当時のことを顧みてみると、あの時は本当にワクワクしながらネタを考えていたなあ、なんてことを思い出した。
「書いたノートをみんなに見せて笑ってもらいたい」っていう明確な目的があって、クラスメイトっていう明確なターゲットがいた。

「書いて発信して、周りから反応をもらって、その反応を糧にしてまた書く」というサイクルが、図らずも出来上がっていたのだ。

下手の横好きでこうして今もブログを書き続けているが、ともすれば「なんでもいいから何か書かなきゃ」とか「上手い表現や言葉遊びを決めてみたいぞ」みたいな感じで、意識が自分のほうだけに向いてしまいがちになる。
読む人のほうを向いていない文章なんて自己満足以外の何物でもなく、そんなものは自分しか見ない日記でやればいい。
仮にも人様に向けて発信しようとするならば、わざわざ時間を作って読んでくれる人のことをもっと考えなくてはいけない。
「ターゲットを明確にして、彼らに満足してもらうことを目的に書く」というのはライティングの基本なのだが、実践できている人は実はそんなに多くない。
逆に、現在ライターや文筆家として活躍している人はほぼ例外なくその姿勢を徹底している。

15歳の自分がすでに文章を書くうえでのスタンスを無意識のうちに身に着けていたことに、ぼくは驚嘆した。
それと同時に、好き勝手書こうとかととりあえず字数を稼ごうなんて自分のほうしか向いていなかった自分の姿勢を見直す契機になった。
まさか過去の自分に襟元を正されるなんて、不思議なこともあるものだ。

 

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時々いいことも書いてある。なかなか侮れないな、あの日の俺。
「不遇」の字間違えてるけど。

 

そしてこの日記習慣の経験が、こうして薬にも毒にもならない文章をネットにあげている今の自分の原体験になっているような気がした。

自分を理解するカギは、案外こういう過去の何気ない経験の中にあるのかも。