映画を観られるくらいの余裕を
1週間に1日はバイトも人と会う予定も入れず、完全に自分のために時間を使うようにしている。
そういう日はだいたい朝の8時くらいにベッドから起きて、10時くらいまで自分の部屋でダラダラしている。11時くらいから昼食のカレーを作ったり近くのカフェに出かけたりして、午後は勉強や読書をする。夕飯時には家に帰って、夜はゲームやNetflixでリラックスしつつ23~24時くらいには床に就く。
自分で書いていて、まあ大層なご身分だな、と思う。周りの友人は皆働いていたり研究にいそしんでいるのに、自分だけこんなにフラフラしていていいものだろうかと不安になる。
そんな後ろめたさと将来への不安感から、自分のために使える時間は少しでも自己研鑽に充てているが、一方でまだまだ怠惰な生活に甘えているな、という感じがする。
今日もまた、溜まったタスクを消化したり後回しにしていた計画を進行させようと、近所のカフェまで足を運んだ。
電車で一駅、そこからバスに乗って約25分。
まだバスが発車するまでには時間があったため、眠気覚ましも兼ねて駅に隣接する映画館のあたりまで歩いた。すると公開中の作品の中に、ポスターからしていかにも自分好みなものがあった。
上映時間は午後の2時45分から。ちょっと微妙だ。
いつも作業しに行くカフェへは、往復で1時間程度かかる。どこか別の場所で上映していないかとスマホを調べると、そこを除けば最も近いところは横浜。とてもではないが観に行けない距離だ。別日にしようかとも思ったが、あいにく今週は今日を除けば暇な日はなさそう。
つまり、映画を観ようと思ったら、今日しかないということだ。
ぼくは迷った。
短時間でパパっと作業を終わらせてまた映画館まで戻ろうかとも考えたが、それだけのために400円と1時間を使うのは少し勿体ない。
駅の近くのカフェは混み合っていてスペースも狭く、あまり気が進まない。
結局ぼくは映画を諦めることにした。
映画よりもやるべきことを優先させよう。
時間と抱えているものごとを天秤にかけたとき、おのずと答えは出た。
社会人になると、自由な時間はますます取りづらくなる。
一足早く(というより、ぼくが出遅れているだけなのだが)社会人になった友人の多くは「なかなか自由な時間は取りにくいよね」という。それと同時に「自分に与えられた自由な時間を、いかに効率よく使うかが大事だよ」とも言っている。
学生のうちは、時間だけは膨大にある。
それゆえに自由だ。
だから大学生はその時間を有意義に使うべく、勉強や研究、アルバイトやサークル活動、はたまた恋愛や放浪の旅などに費やすのである。
しかし就職して社会の一員となると、使える時間の大部分は自分以外のために使わなければならない。
そうすることが社会の成員として課された義務であり、みずからの生活を維持する条件だからだ。
学生時代よりずっと少ない余暇時間を、学生時代と同じようにただ漫然と過ごしていたら、自己実現のための研鑽も人生を楽しむための経験も積めず、ただ年だけを重ねてしまうことになる。
「観たい時に映画を観られない」
そのことは、これから社会人となるぼくにひとつの課題を示した。
やるべきことに追われてしまい、やりたいことを後回しにする。
その繰り返しはやがて精神を疲弊させていき、気づいた時には自分が本当にしたいことが何なのか分からなくなってしまう。
自分の欲望や願望に正直にい続けるために、わずかな時間であってもやりたいことを犠牲にしないために、普段から効率よく濃密な時間を過ごすこと。
映画を観られるくらいの暇をいつでも作れるように、普段からタイトなスケジュールと自己管理を課してやろうではないか。
三日坊主でもいいからさ。ちゃんと思い出せればさ。