生きることは面倒だ
このごろは会社や行政・民間サービスなど、色んな手続きが立て続けにあって、へとへとになっている。
これから本格的に社会人になったら、さらに生命保険への加入や積立投資なんかをやる必要が出てくる。税金も払わなきゃいけないし、さらに一人暮らしをしたら不動産とのやりとりや電気・ガス・水道なんかもなんとかしなきゃいけない。
万一独立なんかしたら、確定申告やら健康保険の支払いやら、何から何まで自分の手でやるハメになる。
この国で生きるためには、踏まなきゃならない手続きが山のようにある。
それらを思うとき、ぼくはやっぱり「面倒くさい」と思ってしまうのだ。
生きることは楽しい。
美味しいものを食べたり、きれいな景色を見たり、素敵な女性と良い時間を過ごした時には、生きることの素晴らしさを全身で享受したくなる。
生きることは素晴らしい。
けれども、生きることに付随する「面倒くさい」ことが、あまりに多くはないか。
貯金も納税も家賃支払いも確定申告も、社会の中で生きている人たちはちゃんとやり遂げているなんて!
ぼくは驚嘆した。
カフェで仕事をするOLも、
スーパーのレジ打ちをする主婦も、
夜の電車で居眠りするおじさんも、
ふだん何気なく街中ですれ違う人々の多くが、生きるうえで避けては通れない数多くの面倒ごとをこなし、それがさも当然であるかのように街を歩いていたなんて!
社会人には責任が伴うとよく言われる。
その責任が人格を作り、風格を与えるのだと。
けれど、こうも言えないか。
社会人と呼べる人たちは、自らが生きる上で必要な面倒ごとを自分の力でこなしている。
だからこそ、一人の自立した存在として社会の構成要素になれていると。