中二病が治らない

そんな私の戯言です

火種

新しく行動を起こすときには、何かしらのきっかけがある。

それは身近な人の活躍だったり、好きな人を振り向かせたいからだったり、たまたまテレビで観たスポーツ選手のインタビューに感銘を受けたりと、実にさまざまだ。

そしてそのきっかけが行動を起こす動機となり、自らを突き動かす原動力となる。

 

ぼくの場合、きっかけはいつもネガティヴな感情だった。

足が遅くてバカにされたことが悔しかった、クラスメイトの輪に入れず孤独だった、大学生の自由に使える時間を無為に過ごしてしまったことへの後悔の念、いつまでたっても成長しない自分への怒り。

人生の記憶の随所に、さまざまな負の感情が焼印のように強く刻み込まれている。

嬉しいことも楽しいこともたくさんあったはずなのに、胸の内に残っているのは悲しみ、怒り、悔しさ、そういうものばかりだ。

「こんな辛い思いはもうしたくない、同じことを繰り返さないために強くなるんだ」

いつもそう言い聞かせて、自分を奮い立たせて変わろうと強く決心した。

けれど、人間の意志は実にアテにならない代物で、決心してからの数日間は必死に頑張るのだけど、1〜2週間も経てばまた元の木阿弥で、すっかり怠惰な自分に戻ったのを見てまた自己嫌悪、、、の無限ループ。

はあ、、本当に学習しねぇなぁ、、、恥ずかしい。

 

物の見方は人それぞれだ。

透明なコップに水が半分入っているときに、「やった!まだ半分も入ってるじゃん!」と考える人と、「うそ、、もう半分しか入ってない、、、!」と考える人の2パターンがいる。

ぼくの場合、仮にコップに8分9分水が注がれていたとしても、残りの10〜20%の空白に目がいってしまうと思う。

ぼくのことを知る人からは「見ていて苦しそうだよ」とか「そんな卑屈にならなくてもいいのに」なんてよく言われる。

今生でポジティブな人間になることは、もう半ば諦めている。

いくら憧れて努力をしたところで、ドクダミはひまわりにはなれない。

 

けれど、それはネガティヴであるがゆえに幸せになることを諦めろ、ということでは決してないと思う。

日蔭を好み悪臭を放つドクダミは、薬草として整腸・利尿作用に極めて優れ、葉を煎じてお茶にすることで人の健康に大きく寄与することができる。

ネガティヴならネガティヴなりにテメェの思考回路を最大限活用して、ネガティヴなままでもご機嫌に生きて、かつ輝ける方法を見つけてかなきゃいけない。

 

冒頭の「きっかけ」の話に戻ろう。

このあいだ、久しぶりに大人数で飲む機会があった。目上にあたる人ばかりだったのだが、そこで自分に対してかけていただいたアドバイスや、その場のノリで放たれた些細な言葉に心が過剰に反応してしまい、帰って一人になったときにかけられた言葉をいちいち反芻して自己嫌悪に陥ってしまった。

結局、今の自分が嫌なら好きになれるように努力するしかないよなーという結論に至り、それ以上考えるのはやめにした。

それと同時に、自分で決めたことくらいはちゃんと続けようと、おざなりになっていたブログやnoteの更新に手をつけた次第なのである。

 

人の気質はそうそう変わらない。

結局、今も昔もぼくの原動力は負の感情だ。それは変わらない。たぶん今後も変わらないだろう。

けれど本当に大事なのはそのあとで、内に灯った火種を絶やさないこと、火をくべ続けることを真剣にとらえなきゃいけない。

 

いかに行動を起こし続けるか、継続するか。

 

まあこれも、ずーっとおんなじ事言い続けてんだけどね。

学習能力がないのも、相変わらずだ。