中二病が治らない

そんな私の戯言です

別に会わなくてもいいけど

オンラインで人と会う機会が増えている。

zoomで友人たちとオンライン飲み会なるものを開催したり、有名人によるオンラインでのトークショーに参加したり、就職活動における社会人訪問もオンラインだ。

技術的には以前から可能だったにもかかわらず、コロナ禍によって直接人と会うことが困難になったことで、一気にネットワークを介したコミュニケーションの機会が増えた。

その結果、自主的に人と顔を合わせる機会はコロナ以前より増えたような気がする。
ここでいう「会う」とは、お互いの顔が見える状態で会話によるコミュニケーションを行うことを指す。

オンラインで人と会う際には、時間を合わせるだけで、あとはインターネット環境さえあれば対面の場合と遜色なくコミュニケーションがとれるということがわかった。

 

ぼくはもともと人付き合いに煩わしさを感じるタイプだ。知らない人やたくさんの人とコミュニケーションをとった日にはどっと疲労感を感じるし、大人数の飲み会はたとえそれが気心知れた仲間同士であっても途中で帰りたくなる。
この手のタイプの人間にとって、オンラインでの会合は都合がいい。
ネットワークでの接続を切断してしまえばすぐに一人になれるので、リアルの場で生じる居心地の悪さとか、「一人になりたい」という感情が湧いてこない。対人関係から生じるストレスがずいぶん軽減されている気がする。

 

ここだけ切り取ると、なんだかいいとこづくめのように感じる。
実際、それまでオフラインで行っていた様々な行動がオンラインで完結できると気づいてしまった現在、他人との接触が自由に行えるようになったとしても元には戻らない気がする。空間的な制約が撤廃されることで、物理的にも精神的にもより低コストで交流が行えるならそれに越したことはない。

しかし、だ。

オンラインの効用を実感する一方で、実際に顔を突き合わせて誰かに会いたいと思うことが、ぼくの中で日に日に増えていることに気づいた。

オンラインで人と会う頻度が増えたことで、会いたい人と実際に会うことの価値が逆説的に高まっているのである。

コロナ以前まで当たり前のようになされていた行為が、実はとんでもなく貴いものなのだと思うようになった。

 

この先、社会がどうなっていくのかはわからない。
人同士の直の触れ合いは不可逆的に希少なものになっていくのかもしれないし、揺り戻しが来てもとに戻るのかもしれない。

それでも、「直に会う」ということはそれだけで有難いのだという感覚は、忘れないようにとっておきたい。

たいして会いたくない人には直接会わなくても済む環境で、自分と直接会ってくれる人の存在は、とても価値あるものだ。

また会いたいと思える人に、あとどれだけたくさん出会えるだろうか。

自分にまた会いたいと、どれだけの人が思ってもらえるだろうか。

 

直接会えない自分だからこそ、改めて考えてみてはどうか。