中二病が治らない

そんな私の戯言です

「思い出したくもない過去」を思い出す

国を挙げての外出自粛の所為でGWの予定も軒並みオジャンになった。

こうも時間があると、考えたくないことまで考えてしまう。

 

体と心が弛緩したタイミングで、普段は奥の方に押し込めていた漠然とした不安とか、人生の辛い時期の記憶なんかが、意識の空白のところにヌルッと入り込んでくる。それは意識の中で領域をグングンと拡大させて、ネガティブの深淵へと引きづりこむ。

心のスキマに這入ってきた負の感情をどこかへ追いやろうと、十字架代わりにスマホを取り出す。
「最悪の時期」「思い出したくもない過去」なんてワードを打っては、茫漠な情報の海*1のどこかにあるかもしれない救いを求めて、検索結果を見渡してみる。

 

けれど、ぼくが欲しい言葉は、どこにもない。

だから、ぼくが書いてやるのだ。

 

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雑誌『POPEYE』の企画で「二十歳のとき、何をしていたか?」というものがある。
俳優、作家、ミュージシャン、デザイナー、編集者、DJ、ラッパー、職人。
さまざまな分野で活躍する著名人の、若かりし頃の記憶を綴った企画だ。

ぼくがこの企画の存在を知ったのもちょうど20歳くらいの時だったから、個人的に妙に思い入れがある。

 

ぼくは、20歳の頃を、自分の人生における最悪の時期として記憶している。

 

別に何か特別な出来事があったわけじゃない。
ただ、周りとの空気間のズレとか、自分だけ恋人ができないだとか、クラスやサークルなどで集団の輪からあぶれ気味だったとか、そういう些細な劣等感や疎外感が積み重なって、あるとき心が耐えられなくなった。

自分は世界から必要とされていないように感じた。自分自身にゴミクズほどの価値も見出すことができず、あらゆる人間関係を絶って、生きる希望も死ぬ勇気もないまま、屍のように過ごしていた。

ニルヴァーナを聴きながら学校の最寄りの駅のエスカレーターを上り、楽しそうに談笑している他の学生たちを横目で見ながら「あー、みんな死なねぇかな」と心の中で思っていた。けれど、幸せそうな人間を妬んでみても何も変わらず、かえって自己嫌悪の念は強くなっていった。

学校から自宅までの2時間近い通学路を、ずっとわけもわからず泣きながら帰ったこともあった。

ちょくちょく連絡をとっていた友人には、会うたび心配された。一応身の上話を吐露はしたが、内心では「お前なんかに俺の苦しみがわかってたまるか」と突き放していた。誰も理解などしてくれないと思っていた。
「考えすぎだよ」「気の持ちようだ」なんて慰めにもならない言葉は聞きたくなかった。家族にさえ何も話さなかった。

「自分 好きになるには」「何もかもうまくいかない」なんて言葉をスマホで検索しては、気休めの言葉を縋り付くようにかき集めていた。

何もかもが憎かった。他人が、世界が、何よりも自分自身が。

誰も信じられないくせに、自分を地獄から救い出してくれる誰かをずっと待ち続けていた。

  

 我ながら、こんな状況から良く立ち直れたな、と思う。

 

苦しみは、主観的な感覚だ。

ある人の苦しみは、その人自身にしか感じられず、他の誰かと共有はできない。
確かに、会話や文章を通じて他者の苦しみを間接的な形で知ることはできるかもしれない。だが、自分が直に感じたものとは違い、他者の苦しみは「共感できるかどうか」という1点においてのみ評価される。

身もふたもない言い方をすれば、他者の苦しみはコンテンツなのだ。

古今東西あらゆる物語において、不幸な身の上の少女が題材にされることがその証拠だろう。
「両親を事故や病気で失った美しい少女が、貧しい暮らしを強いられ、周囲の人間から虐めを受ける等様々な困難に直面しつつも、希望を捨てずに頑張り続ける」というプロットは極めて想像しやすい苦しみであり、いかにも共感を引き出せそうな設定だ。

 インターネットには「他人の不幸で飯がうまい」という意味の「メシウマ」という言葉が存在する。同じような意味で中国の書物『春秋左氏伝』には「幸災樂禍」という言葉が見られ、ドイツ語では他者の不幸に対する喜びを表す”Schadenfreude”という言葉がある。
これらの言葉はすべて、ある人の不幸や苦しみが共有されず、むしろ喜びや痛快さとして受け取られることが頻繁にあることを示している*2

 

苦しみを感じたときに大きな救いとなりうるものの一つに、他者からの励ましがある。
誰かの励ましはやがて癒しにつながり、その人に再び立ち上がる活力を与えてくれる。

しかし、ここで一つ気をつけなければいけないことがある。

自分の苦しみが他の誰かにとってコンテンツでしかないとすれば、他者からの励ましや癒しを得るためには、その苦しみが共感を得られる形をとっていなければならない。

「恋人と別れた」とか「大事な場面でミスをしてしまった」などのように、苦しみの原因が具体的で客観的であればあるほど、他の人にもはっきりイメージしやすい。けれども「わけもなく苦しい」とか「自分は世界になじめていないように感じる」というような抽象的・主観的な表現だと、聞く方もどう共感したらいいのか、なかなか分からない。

そして何よりも、苦しみを吐き出す側が相手に対して心を開いていなければ、どんな励ましも癒しも届かない。

20歳のころのぼくなど、それはもう心を閉ざしまくっていたから、誰がどんな言葉をかけようとも「けっ、上手く生きられる人間の理屈だな」と突っぱねていた。

つくづくイヤな奴だったなぁ。

 

では、他者からの共感を得られがたいほどに内的な苦しみを抱え、心を閉ざしてしまうほどに追い込まれてしまったとき、そこから立ち上がるにはどうしたらいいのだろう?

 

ぼくの場合、自分を内なる絶望から救い出してくれたのは、映画だった。

家から近い場所に「キネマ旬報シアター」という映画館がある。
名前の通りキネマ旬報社が運営するミニシアターで、話題の作品から単館上映の良作、過去の名作まで様々な作品を上映している。

当時のぼくは夢も希望も活力もなかったが、幸いにも時間だけは膨大にあった。

そんなタイミングで、たまたまYoutubeの映画レビュー動画を観たことをきっかけに、ちょっとマイナーな映画を観てみようと思うようになり、上述の映画館をはじめとした、所謂ミニシアターといわれる場所に足しげく通うようになった。

映画を観ている間は、自分の惨めな気持ちを忘れることができた。

はじめは、それは感覚的な没入感によるもので、一時的な気休めだと思っていた。
しかし、劇場に通い続けて2か月ほど経った頃、1日の中でネガティブな感情にとらわれている時間が明らかに減っていることに気がついた。

映画体験による癒しの効果は、自分が予想していたものよりもずっと大きかったのだ。

 映画を観ることによって、自分以外の誰かの人生を追体験することになる。
自分ではおおよそ経験しえないであろう他の誰かの体験、思考、感情などが、視覚と聴覚を通じて観る人の内面にインストールされ、自分のそれとは違う視点で作品という(閉じた)世界に触れることになる。
ある時は登場人物の1人に感情移入してみたり、別のある時は神の視点から状況を俯瞰してみたり。

効果はテキメンだった。

自分以外の視点を取り入れることによって、苦しみを感じている<現実の自分>でいる時間が減り、その分だけ苦しみの総量は減った。
それだけではなく、他者の世界のとらえ方を疑似的に体験したことで、自分の体から見える世界を相対的にとらえられるようになったのだ。

「苦しみは主観的だ」ということに、気づくことができた。
世界が苦しみに満ちているのではなく、自分の認識が苦しみを選択していたのだ。

それからぼくは、今まで自分が経験しなかったようなものごとに目を向けるようになった。それまで自分が知らなかったような世界の一面を知るために。

学校で行われていた業界研究セミナーを訪れたり、海外ボランティアの説明を聞きに行ったり(費用の関係で、実際に参加することは諦めた)、有名な方の講演会に参加したりした。

その後、学年が上がりキャンパスが変わったことで取り巻く環境が大きく変化したこともあり、精神状態は徐々に持ち直していった。

「世界には違った一面がある」という可能性は、ぼくに希望を抱かせてくれた。
主観が問題であるならば、自分の意思でもう一度選びなおすことができるのだと。

 

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4年ほど経った今でも、当時のことを思い返すのは結構しんどい。

そのほかにもつらい経験はあったし、もっと大きな苦しみを経験した人など山ほどいるだろう。
それでも、自分が内側からぼろぼろに崩れていくような、正体のつかめない絶望にさいなまれた経験は、後にも先にもなかった。

つい最近になるまで、どうしてあそこまで精神的に落ち込んだのか、理由がわからなかった。
それと同時に、20歳の時の1年間(2016年)の経験を自分にとって全く無駄なものだと認識していた。心が腐り、勝手に燻り、停滞し続けた時間だったと。

しかし、今ならば言える。
あの最悪だった日々は、自分にとって意味があったのだと。

 

大学に入学した当初のぼくは、「自分の課題を見つけ、乗り越えることで成長してこそ、幸福に近づけるのだ」と固く信じていた。
運動音痴ながらも小中高と野球を続け、体力と技術を向上させた経験から、自分の中のマイナスの要素をプラスに転化させることが、自分にとっての「善い生き方」なのだと信じて疑わなかった。
そのために、大学も自分の性格とは正反対の校風を持つところを選んだ。
今の自分に足りないものを、得られるはずだと思ったからだ。

しかし現実は、クラスの人間関係につまづき、サークルの人間関係につまづき、勉強につまづき、恋愛につまづいた。

自分の足りないところを獲得していくどころか、逆に圧倒され、それらをいとも簡単に手に入れている(ように見えた)周囲と比較して、自分の欠落がより大きく際立っていった。

 

固く心に決めたはずの信念を実行するだけの力が、自分にはなかった。

自分自身に絶望するのに、これ以上の理由が必要だろうか?

 

「足りないものを埋める」と言えば聞こえはいいが、言ってしまえばそれは劣等感をエネルギーの源泉にしている、ということだ。
劣等感をエネルギーにして突き抜けられる人も中にはいる*3が、ぼくにはそこまでのストイックさはなかった。

劣等感を力にして自分を高めていくよりも先に、幼稚な自意識が耐えきれなくなってしまった。
そしてそれは、高校までの自分が信じていた価値観の限界だった、ということだろう。

映画での「他者の視点を取り入れる体験」をきっかけに、所属したゼミの研究テーマだったこともあり、ぼくは「自分以外の人から、世界はどう見えているのか」に興味を持つようになった。

今自分と話しているこの人は、何が好きで、何に価値を置いていて、どんな瞬間に喜びを感じるのだろう?
人と話す時に、その人から見える世界に思いをはせ、会話を通じてそれを紐解いていく。相手のことについて質問する頻度が以前より増えた。

たくさん本を読むようになった。自分の知らないこと、新しい世界の見方をもっと知りたいと思うようになった。

劣等感ではなく、好奇心をエネルギーにして行動を起こすようになった。

そして、自らの価値観をシフトさせる直接の起点となったものが、20歳の時に経験した、深く長い抑鬱だったのだろう。

もしかしたら、人は自らの世界観を変革する際に、一時的に鬱状態に陥るのかもしれない。

 

「20歳の時、あなたは何をしていましたか?」

この質問にいつか、自信をもってこう答えられるようにしたい。

「より高く跳ぶために、深くしゃがみこんでいました」

 

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もし、これを読んでいる人に、今わけもなく苦しくて、誰も自分を理解しちゃくれないと思っていて、自分自身を殺したいくらいの自己嫌悪にさいなまれている人がいたならば。

この文章は、君のために書いたものだ。

今は何の希望も見出せないかもしれない。
それでも、少しでもいいから、心を開いてみてほしい。

 

世界は君が思っているより、ずっとずっと広い。

 

 

 

 

*1:インターネットが冒険と可能性の象徴だったのは昔の話。今や航路は整備しつくされ、可能な限りリスクの取り除かれた滑らかな航海しかできやしない。

*2:単純に受け手の性格が悪い、という場合もあるが

*3:本田圭佑とか、南キャンの山ちゃんとか