中二病が治らない

そんな私の戯言です

凝り性のナマケモノ

人は夏休みの宿題を計画立てて余裕をもって終わらせるタイプと、ギリギリまでため込み最後の数日で一気に片付けようとするタイプの2種類に大別できることは、皆にとっても周知の事実だろう。

ぼくは、言うまでもなく後者だ。

タスクを期日までに片付けられればまだよい方で、(誠にお恥ずかしい話であるが)デッドラインを割ってしまうこともしばしばある。大学に入学してからは、身体的拘束が一気になくなったことにより生来のナマケモノ気質が一気に加速していった。課題やタスクにとりかかるのが、締め切りの当日からなんてことも珍しくなかった。

加えて、凝り性で完璧主義なところがあるものだから、何よりも成果物の質にこだわる。ふつう何らかの成果物を作ろうというときには、まず全体の骨組みを確立させ、精度は二の次にしてまず一通り形にさせるというものがセオリーである。だがぼくの場合、細部の作りこみにえらく時間をかけがちだ。たとえば文章なら前後の文脈との整合性だとか、一つ一つの言い回しをどうしようかと考えたりとか。
マンガやラノベなどに触発されて絵を描き始めた中学生が人物の絵を描くときに、顔の造形だけやけに力を入れて体のバランスがめちゃくちゃになっている*1のを想像していただきたい。
ぼくはああいう作業の進め方を、あらゆる物事に適用させてしまっている。

質を追求し、細部まで目を行き届かせることは大事だ。しかし、そうしたクオリティへのこだわりは圧倒的な思考錯誤の末になされるべきものであって、十分な作業時間が必要不可欠だ。
つまるところ、締め切りギリギリになって細かいところに意匠を凝らしながら全体としてバランスの取れたものを作ろうなんて発想は愚の骨頂であり、甘い考えだと断ずるほかない。

 

まずは終わらせる。

出来栄えそれ自体よりも、完成させることを優先する。

本当に重要なところはどこか、しっかりと見極める。ズボラな性分は、そのために使われるべきなのだ。

*1:大分偏見が入っている