中二病が治らない

そんな私の戯言です

脇役

蕎麦が好きだ。ぼくの個人的好きな食べ物ランキングは毎年目まぐるしく変動するのだが、蕎麦はかれこれ10年以上トップ5に君臨し続けている。


信州や山形などの名産地で食べるちょっと格式ばった蕎麦もオツなのだが、なんだかんだ言って街角にある昔ながらの蕎麦屋が好きだ。最近はソーシャルディスタンスやなんかで事情も変わってきているのだろうが、縦長のフロアには大きすぎるくらいのテーブルや、背もたれがやけに短い椅子だとか、内装も一周回ってオシャレに感じる。
そして、その手の蕎麦屋にはかつ丼や親子丼なんかが、やっぱり欠かせない。
それらの丼ものはもともと、そばつゆの余ったダシを活用して何か作れないかいうのが始まりらしく、言ってしまえば副産物だ。
にもかかわらず、ぼくは蕎麦屋に行くとだいたいいつもかつ丼や親子丼、玉子丼なんかをセットで頼んでしまう。なんだか物足りなさを感じる。
主役は蕎麦のはずなのに、脇役のはずの丼ものに強く心が惹かれてしまう。

 

 

時として傍流の要素が、主流を食ってしまうことがある。
ミッシェル・ポルナレフの『シェリーに口づけ』やプリンセスプリンセスの『M』などはもともとカップリング曲だった。
最近の事情はよく知らないが、テレビゲームなんかでは作中のミニゲームに本編そっちのけでハマるケースがしばしばあった。
飲み会なんかで人数合わせでやってきた友達の友達が、気が付いたら場を完全に支配してしまっていた、なんてことも。
主役よりも目立つ脇役。正直憧れる。『フルメタルジャケット』におけるハートマン軍曹だったり、『ぼのぼの』のしまっちゃうおじさんだったり。
蕎麦屋の丼ものは、それらと同等の存在だとぼくは思うのだ。

 

とはいっても、ぼくはお膳の隅っこに慎ましく陣取る、漬物にもときめいてしまう。
ぱっと見は存在感がなくて地味にさえ思われるが、ひとたび口に入れると深く浸み込んだ複雑な味わいの虜になってしまう。
そういう「噛めば噛むほど味が出る」存在も、またいいよねと思ってしまう。